さて、あなたはおいしいものを食べた時。
「おいしい」と感じたり。
美しい景色を見た時に。
「美しい」と感じたりするのは、なぜでしょう?
…それは。
無意識の自分の中に「おいしい」「美しい」と感じる基準が存在していて。
それを意識している自分が認識した時なのです。
もし、この基準が自分の中に存在しないのであれば。
「おいしい」「美しい」と感じる事は、ありえないのです。
基準が存在しない状態を想像します。
食べ物を口にします。
味は分かるとします。
しょっぱい、あまい、にがい、すっぱい。それは分かります。
しかし。
どの程度のしょっぱさがおいしいのか。適当な甘さはどれぐらいなのか。
皆目見当もつきません。
そもそも「おいしい」という基準が存在しないのですから。
「おいしい」という感覚、その存在すら認識できません。
あくまでしょっぱい、あまい、にがい、すっぱいという刺激として、脳が処理するだけになってしまうのです。
…言い換えます。
あなたは、耳で車のエンジン音を聞いて。
「おいしい」と感じることはありません。
なぜでしょう?
…そう、耳で聞いた音に対して「おいしい」と感じる基準は人間に存在していないから。
という事です。
そして、自分の中に絶対的な基準がある、という事は。
「全ての答えはあらかじめ自分の中に存在している」
という事なのです。
人生とは、その意識できなかった自分を知っていく、自覚していく事にこそ意味があると思っています。
…そして、その自分を創ったのが神であるならば。
「自分の中にこそ、神に通じる手がかりが存在する」
とも、言えるのではないでしょうか?
