さて、前回「自己犠牲」の記事で自分を一番に愛するようにと、お話をしました。
では、なぜ「自己犠牲」が「美徳」とされてきたのか。
今回はその本質と問題点について深掘りしたいと思います。
◎そもそも「自分が一番大事である」という前提があって始めて自己犠牲は美徳となる
これが結論です。
自分という、大事に大事に大事にしている命があります。
その大事な大事な大事な命を、他人の命を救う為に、やむを得ず、どうしようもなく、致し方なく、本当は嫌だけど、それでもそれしか方法が無いから、苦肉の策として、命を差し出す。
こういう、極限の葛藤、本当に大事にしていて、絶対に差し出したくないものだけれでも、それでも相手の為なら…と思って差し出すからこそ、美徳たり得るのです。
これが真実です。この場合は、美徳と言って差し支えないかと思います。(かといって、それが絶対に正しいとか、それができるから偉いとか、素晴らしいとか、そういうつもりは全くありません。ここは注意が必要です)
しかし…現実はどうでしょう?
「自己犠牲は美徳だから」という理由で。
自分自身を、蔑ろにしてしまっていませんか?
…蔑ろにしてしまっているのであれば、それは自分の命を大事にしていない、という事になります。
自分の命を大事にせず、粗雑に扱っている。
仮にその命を差し出したところで。
「大事にしていないから、簡単に差し出す事ができたんだな」
となるだけで。
美徳には、なり得ないのです。
ですので、いっその事、「自己犠牲は美徳だ」という考えは捨ててしまいましょう。
どうしようもない結果として自己犠牲があり、その結果美徳となるだけで。
自ら進んで目指すようなものでは無いのです。
そもそも、本当に自己犠牲は美徳なのでしょうか?
自分自身も救えてこそ、真の美徳と言えるのではないでしょうか?
…現代における「自己犠牲は美徳だ」という言葉は。
「自分を大事にしない人間は立派だ」と、ほぼ同義です。
考えるまでもなく、おかしいでしょう?
他人をコントロールする為に都合よく使われているのが「自己犠牲は美徳だ」という言葉、概念だと感じています。(「社会の為に」も、そうでしょう?)
これらの言葉には、十分に注意されてください。
