「因果応報」という言葉、元は仏教から来ている言葉で、スピリチュアルな界隈でよく使われている言葉だと思っていますが。
果たして、因果応報は存在するのか?
という問いに、答えたいと思います。
私は「因果応報」は…
「間違いなく存在する」と思っています。
◎因果応報が存在すると断言する根拠
まず、この世界は物質でできています。
我々が生きている環境の全てに物質は存在している、と言って良いでしょう。
物質とは、つまり「量子」です。(確率的な世界)
そして「量子」には「時間」と「空間」の情報が含まれている、というのが私の結論になります。(神の存在証明)
つまり「いつ何をしたのか」が、記録されている事になります。
そして「量子」は波と粒の二重性を持っており。
それは「確率」として、必ず「収束」するようにできています。
ですので、この世界のシステムから考えますと。
「在るべくして在る」
ように思います。
ただし。
「いつ因果応報として返ってくるのかは分からない」
というのも事実だと考えます。
なぜなら、確率はいつ収束するのか、誰にも分からないからです。
必ず「収束する」のは断言できます。
しかし「いつ収束する」のかは、分からないのです。
サイコロで1が5回連続で出たとしても。
いつかは、均されて、必ず均等になる、とだけ言えます。
故に。
「因果応報は必然として存在しているが、いつ返ってくるか分からない偶然性を伴っている」
というのが私の結論です。
なので、嫌なことをされた相手に無理にやり返すよりかは。
「因果応報でいつか相手に返ってくる」と思い、この世界のシステムに任せて、その相手と関わらないようにする。
もしそれが可能な状況であるのなら、自分の幸せと向き合って、前に進む方が良いのではないかなと思います。
(たぶん、やり返したことも記録されていて、いつか何かしらの形で返ってくるように思います。これを理不尽とするか、よくできたシステムとするかは人によるかと思いますが、この世界にそういうシステムがある事を知っておく、理解しておく事で、今後の自分の人生の道標になるかと思います。)
あとは、この考えでいきますと…案外、人生は平等なのではないかなと思ったりします。
というよりも、自由さを担保しつつも、できるだけ平等になるように作ろうとした結果生まれたシステム…という風に捉えた方が正しいような気がします。
