前回、因果応報という記事を書きましたが。
私は、確率的な世界というのは、非常に重要な捉え方であると考えています。
今回はその視点から「呪い」といったものがどういう仕組みなのかを、考えてみたいと思います。
◎呪いは確率の結果を先に固定し、釣り合うように収束させる行為
これが、私の結論です。
確率的な世界にて、この世界は物質でできており、その本質は確率であるとお話ししました。
そして、神の存在証明にて、物質とは時間と空間の情報を含んでいる存在だという結論を出しました。
つまり「呪い」というものは、何らかの方法・力を用いてこの確率を「強引に」操作しようとする行為ではないか?と考えます。
例えば、コインを10000回投げたとします。
普通は、表が5000回ぐらい、裏が5000回ぐらい、過程にばらつきがあったとしても、おおよそこの回数付近に収束します。
しかし、呪いを行うと。
10000回投げたコイン全部が表になる。
つまり、本来ありえない、起こり得ない未来を強引に手繰り寄せるのが「呪い」といった、いわゆる「呪術」の本質であると考えます。
ただし、これはあくまでこの世界の理・法則に則って行われるものであり。
表が10000回連続、というのは「ありえないぐらい確率が偏っている」と捉えることができます。
故に、バランスを取る為に収束しようという力が働く。
それこそ、裏が10000回連続で出るような、本来ありえないような急激な収束をしようとする。
これがいわゆる「代償」と呼ばれるものではないかと考えています。
ちなみに「呪い」には「のろい」と「まじない」という二つの読み方があります。
本来は(ざっくり言うと)ポジティブかネガティブかで使い分けられていた言葉であり、本質的には同じ意味を持っている言葉ですが。
どうにも「まじない・おまじない」という言葉は、エンタメ的、お遊び的なニュアンスが強く含まれているように思います。
故に、このようなお遊び的な感覚で、本格的な呪(のろ)いに手を出してしまいやすい、危険な環境であるとも考えています。
前述したように、この世界の原理原則から言って「呪(のろ)い」は存在し、そしてそれは「代償」という「願いに見合った同等のリスク」を伴う行為だと考えますので。
「お遊び感覚で試してみよう」という考えをお持ちの方は、一度踏みとどまって真剣に考えられる事をおすすめします。
(ちなみに私は呪いを依頼した事も試した事もありませんが、ロクな事にならなさそうなのが目に見えていますので…依頼する事も試す事も無いでしょう。少なくとも、現時点ではそう思っています。)
